佐藤けんやとは?
2003 お台場「24時間チャリティーラン」
| 家族 | 妻(保母)と子(1歳) |
| 生年月日 | 1969年4月18日(2003年6月現在34歳) |
| 性別 | 男 |
| 生息地域 | 川崎市宮前区 |
| 性質 | 短気、負けん気が強い、できないことがあるとムキになる 喘息・蓄膿症・そのほか各種アレルギーを持つ |
| すきなもの | ウルトラマラソン |
| 所属 | へろへろクラブ(川崎市役所陸上競技部) |
| 職業 | 公務員(川崎市役所健康福祉局介護保険課) 2003/4〜は、川崎市麻生福祉事務所保護第一係(生活保護ケースワーカー) |
| 出没地域 | 主な練習場所:多摩川の日野橋から六郷橋の間、川崎市・横浜市の矢上川の土手 自宅から大月(国道20号) UMML(ウルトラマラソンメーリングリスト) |
| 経歴概要 | 小学生:サッカー・水泳、中学:卓球部、高校陸上部 生まれつきの運動音痴でした、小学生時代に長距離だけはまともにできることを知り、高校で陸上部に所属したものの、高校3年の時に、椎間板ヘルニアであえなく長距離人生を終了してしまいました。 しかし、就職後、体力の低下から、喘息と蓄膿症が悪化、通院治療を行っても病状は徐々に悪化するような状態で、このままでは死ぬのではないかと感じ、28歳(1996年)から体力をつけるためにランニングを再会(実に8年半のブランク)。 ランニングは大好きだし、趣味ですが、一定レベル以上の体力を維持しなければ、まともな社会生活を送れなくなることになるので止められないという事情もあります。 喘息は軽いのですが、走っていると淡がからんだりくるしいことも多いので、咳き込みながら走っているランナーが多摩川にいたら「けんや」です。 |
| ウルトラマラソンとの出会い | 走り初めて2年半、ヘルニアがあったので、インターバル等の練習はほとんどできず、長い距離ばかりを走っていたので、ここは一つと思い切って富士五湖100kmに申し込んだのが、ウルトラマラソンの世界への第一歩でした。 初めてのウルトラのとき、想像以上の苦しさ・痛さから、二度と走るものかと思いましたが、ゴール後はそのような気持ちは吹き飛び、充実感と完走できた喜びで、うるうるしてしまいました。 先日走った、甲州夢街道215kmでは初のリタイヤを経験しましたが、一緒に走ったたくさんの方々や役員の方とふれあい、さらにウルトラの魅力にはまってしまっています。もう二度と抜けられないと思う・・・ごめんね小林監督・・・。 椎間板ヘルニアのため二度と走れないと言われていたので、ランニングを再開したときには、10kmをジョギング程度ではしれるようになればいいと思っていたのですが、妻や様々な方々のおかげで、今ではフルマラソンやウルトラマラソンに挑戦できるようになり、感謝するばかりです。今は、走れる喜びをかみしめながら走っています。 ウルトラマラソンは苦しいけどすごく楽しいので、たくさんの人たちを勧誘しようと思っています(小林監督ごめんなさい)。 100kmのベストは、9時間09分00秒 |
| 目標 | 来年こそは、甲州夢街道215kmを完走するぞ!! スパルタスロン完走 |